会社沿革
HISTORY
大正13年4月 | 初代社長平澤友雄が「平沢友雄商店」として医科器械・理化学器械の販売を開始 |
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昭和20年 | 第二次世界大戦の末期に戦災のため一時中断、戦争終結直後に営業を再開 |
昭和24年6月 | 「平沢友雄商店」の業務を引き継ぎ、出資額60万円で「有限会社平沢製作所」を設立、初代社長に平澤友雄が就任 |
昭和30年 | 医学研究機器の研究開発に努め、実用新案権などテーハー(トレードマーク)製品の生産販売を開始 |
昭和31年 | 京都市で開催された医学総会の併設展示会に初めてテーハー製品を出品し好評を博す |
昭和32年 | 日本全国にテーハー製品の販売を開始 |
昭和35年 | 東京都で開催された医学総会の併設展示会に、初めてテーハー製品の総合カタログを配布 |
昭和37年 | 東京都・産業会館での全日本科学機器展に初めて出展し、科学研究分野にも販路を拡大 |
昭和39年 | 総合ダイジェスト版カタログを発行・配布 |
昭和41年 | 第1期の製品開発で20件を越える実用新案権を取得 |
昭和42年 | 初めての本格的な総合カタログNo.11を発行・配布 |
昭和43年6月 | 本社テーハー・ビルが新築落成 |
昭和44年 | テーハー製品の生産設備を拡充し、出資額を2000万円に増資 |
昭和48年 | 第2期製品開発で画期的なウォータージャケットCO2培養器の販売を開始、テーハー製品の販売高が飛躍的に増加 |
昭和49年 | 創業50周年・会社設立25周年を迎え、出資額を2500万円に増資 |
昭和50年 | 商品技術センターを新設し、全製品を製品検査の上出荷する体制を確立 |
昭和53年6月 | 初代社長平澤友雄が引退し、現社長平澤喜久雄が社長に就任 |
昭和56年 | 第3期の製品開発で、テーハー製品が日本全国で好評を集める |
昭和59年 | テーハー製品を拡充にともない、新製品を掲載して総合カタログNo.24を増頁し発行・配布 |
昭和60年 | 中華人民共和国への輸出量が年々増加し、技術提携のうえCO2培養器の現地組立生産を開始 |
昭和61年9月 | 「有限会社平沢製作所」を「株式会社ヒラサワ」(資本金2500万円)に改組、初代社長に平澤喜久雄が就任 |
昭和62年 | 第4期の製品開発でコンピューター技術を採用、次々とCPUを搭載したテーハー製品の販売を開始 |
平成3年1月 | 「大阪営業所」を開設し、関西地区の販路拡大とサービスの充実を図る |
平成4年 | 第3世代ウォータージャケットCO2培養器など、時代の要求に応じた各種の新製品を発売 |
平成5年 | CO2培養器に標準型、エコノミー型、大型、ベビー型など、あらゆる要求にも適応するシリーズ完成 |
平成6年 | 総合カタログNo.28を発行・配布 |
平成13年5月 | 技術センターを足立区に拡大移転 |
平成15年4月 | 創業80周年(会社設立57周年)を迎える |
平成25年4月 | 創業90周年(会社設立67周年)を迎える |
令和元年 | 現在に至る |